ファッション【コムデギャルソン】
コムデギャルソンの由来はフランス語で「少年のように」、川久保は、ファッションの正規教育を受けていない。
旭化成に入社し、繊維宣伝部でスタイリストを経験。輪郭を隠す服から、体の肉やこぶ自体が一つの身体かのようなデザインを提案して話題となる。
それ以来、パリを中心としてコレクションを展開している。
コムデギャルソのスタイルは、社会に流されることのない、自立した女性像をデザインに落とし込んだもので、従来型の女性らしさのない、ルーズなシルエットに黒などモノトーンな色を多様、孤高の女性を描いた。
H&M日本進出の目玉となる。
87年、ビジネススーツラインの「コムデギャルソン オムドゥ(COMME des GARCONS HOMME DEUX)」がスタート。コムデギャルソンはこのようなスタイルから、一部から熱狂的な支持を得て、80年代には、黒の服に、おかっぱ頭の女性が街中を歩き、「カラス族」と言われるスタイルを生み出した。
・JUNYA WATANABE COMME des GARCONS・JUNYA WATANABE COMME des GARCONS MAN ・eYe JUNYA WATANABE COMME des GARCONS MAN下記ラインは栗原たおが手がけている。それは強い個性、革新性、前衛性を求め続けるスタイルによるもので、流行やスタイリッシュな実用性とは距離を置いている点に理由がある。
慶応大学卒業。97年、「こぶ」が着いたようなこぶドレスを発表。(詳しくは東からの衝撃で)こうしてヨウジ・ヤマモトとともに「ボロルック」と呼ばれる黒を主体とした独特のファッションで、独自の世界を作り上げていった。
78年に「コム・デ・ギャルソン オム(COMME des GARCONS HOMME)」がスタート。その後フリーランスの活動を経て、73年、コムデギャルソンを設立、レディースウェアの製造販売を開始。
・trict COMME des GARCONS(より若者向けデザイン)・TAO COMME des GARCONS。パリでの最初のコレクションはセンセーショナルで、賛否両論。コムデギャルソンは山本耀司、三宅一生(イッセイミヤケ)らと並び世界から注目を集め、80年代のDCブランドブームを引っ張り、国内外で地位を確立した。服飾の既成概念を崩したアバンギャルドで斬新な表現手法は「広島シック」「黒の衝撃」と言われ批判を受けたが、アバンギャルドかつクラッシックなスタイルは徐々にクリエイティブな若手デザイナーから受け入れられていった。
・COMME des GARCONS HOMME( ベーシックなメンズライン) ジュンヤワタナべ・コムデギャルソンの下記ラインは渡辺淳弥が手がけている。
コムデギャルソンついて興味を持っていただけましたか?
最新アイテム・お得な情報は関連サイトをチェック
- 最終更新:2008-05-25 17:24:56
